通勤途中に立ち寄っていた公園は、結局最後の別れを交わす場になった。74人の死者を出した大田の安全工業火災から発生50日目に当たる9日、事故現場近くの文平公園で犠牲者追悼式が開かれた。普段と同じように仕事へ向かう道で、家族は帰らなかった人々の名を呼び、同僚や市民はどの職場も誰かにとって最後の場所になってはならないという思いを胸に頭を垂れた。
大田市と行政安全部がこの日、安全工業火災の犠牲者追悼式を執り行った。追悼式は遺族の痛みを分かち合い、事故で亡くなった労働者を偲ぶために設けられた。安全の価値を改めて確認し、災害対応体制を見直して同様の惨事を繰り返さないとの決意も示された。
文平公園は安全工業の近くにある。故人たちが普段、通勤途中に通りかかり、ひと息ついた場所だ。大田市と行政安全部は7日に大田市庁に設けていた合同分香所をここへ移して運営してきた。故人たちの49日法要が終わった後に行われた追悼式をもって、合同分香所の運営も終了した。
事故は3月20日に発生した。いつも通り家を出た労働者14人は、職場の安全工業で起きた火災のために家族のもとへ戻れなかった。ともに働いていた同僚ら60人も大小の傷を負った。一瞬の炎が74人の命を奪い、残された家族の時間はその日で止まった。
追悼式には遺族や大田市、行政安全部の関係者ら約300人が参列した。式は追悼の言葉、分香・献花、追悼文の朗読、追悼公演、位牌の奉送の順で進められた。保健福祉部の国立公州病院・忠清圏トラウマセンターの関係者も現場を訪れ、遺族に寄り添った。
位牌の前で、遺族がこらえていた涙をついに流した。息子を失った母親は、息子の位牌を見た瞬間に膝をついた。二度と返事を聞けない名前を必死に呼び、その泣き声の前で誰もすぐに言葉を続けられなかった。公園はしばらく、家族の嘆きで満たされた。
父親を見送った幼い子どもたちも最後の別れを告げた。子どもたちは父親の位牌にそっと手を触れ、短い別れの言葉を述べた。あまりにも早く経験させられた別れの前で、小さな声が胸に深く刺さり、追悼の場は涙に包まれた。
追悼文には残された家族の思いがそのまま込められていた。ある故人の甥は「そちらではつらいことをせず、ゆっくり休んでください」と書き、「叔父の甥でいられて幸せだった」と綴った。短い文の一つ一つに、伝えきれなかった愛と手放せない別れの痛みがにじんでいた。
キム・ハンス行政安全部災害現場支援官は追悼の言葉で、「哀悼と慰労の意を表すとともに、事故発生以降これまで行ってきたように、正確な事故原因の究明と事後対策に最善を尽くす」と述べ、「故人たちが汗を流して働いた職場の隣に、追悼施設を早急に設ける」と約束した。