語学辞典は「天才」を先天的に他より大きく抜きんでた才能を持つ者と定義し、「バカ」を知能不足で正常な判断ができない者と定義している。しかし「天才とバカは紙一重」という言い回しがある。一見大げさに聞こえるが、現実をよく表している。世の中は公正ではない。正確に言えば、世の中は能力ではなく結果で人を評価する。
ニコラ・テスラは交流電気システムを開発し、人類の電力構造を根底から変えた人物だ。しかし事業センスの欠如と現実政治への無理解のため、貧しいまま生涯を閉じた。
画家フィンセント・ファン・ゴッホは生前にたった一点しか絵を売れなかった。現在では数百億円の価値を持つ作品群だが、当時は徹底的に無視されたに過ぎない。彼の天才性はあったが、時代と市場がそれを見抜けなかった。
逆に、特に目立つ才能がなく見える人々が成功する例も多い。ゴールドラッシュの際、金を掘りに集まった多くの者の中で実際に富を得たのは採掘者ではなく、ジーンズや道具を売った商人たちだった。天才的な能力があったからではなく、流れを読みその上に乗ったからだ。結局、「天才の失敗」と「バカの成功」という評価基準は、時間と社会が作り出す。社会は「正しい人」ではなく「合う人」を選ぶ。
時代は天才を待たない。市場は愚かさを問題にしない。結果さえ出せばそれで十分とされる。天才の失敗とバカの成功は個人の問題にとどまらず、結果だけを崇拝する社会構造が生み出した錯覚だ。天才と愚かさの基準は知能だけではない。現実を読み取る感覚と最後まで押し通す責任感も含まれる。天才は失敗しても再挑戦し、最終的に結果を作り出す。
子どもの頃「問題児」と呼ばれ、学校の成績も平凡だったアルベルト・アインシュタインが提示した相対性理論は、世界の時間と空間の概念を完全に覆した。もし彼が既存の枠組みに従っていたら、現在の科学的飛躍は実現しなかったかもしれない。当時は愚か者と見なされたが、時間が経ち天才と認められたのだ。結果だけを見れば、誰かは天才と呼ばれ、別の誰かは容易に愚か者と断じられる社会である。
しかし天才と愚かさの境界は固定的ではない。今日の愚か者が明日の天才になることもあり得るし、今日の天才が明日の失敗者になることもあり得る。重要なのは一度の結果ではなく、最後まで結果を出し続ける持続的な「粘り強さ」だ。
それは天才的成功ではなく、「集団的錯覚の中での成功」だった。準備されていない成功は結局、市場によって整理される。
/キム・ミョンギュン 主筆