台所脇のベランダで順番を待っていた玉ねぎが
息を整えるつもりで陣痛のように身をよじり、か細い芽を吹いた
新しい命の尊い誕生に
水や養分を運ぶ玉ねぎを
水を入れたガラスのコップに載せ
「ありがとう」と撫でる
隣の友人も去り
マンウォルドンサンの桜も散り
4月が去りゆく淵で
行くべき者が去り
残らざるを得ない者たちの束縛が痛い
私が死んで新しい命を宿す玉ねぎ
玉ねぎよりも劣る生を送る為政者たちを見ながら
時間は残された者のものだと言われるが
ああ、この愚かな連中め
地球という輪の上で共に息をしている日々が
切なく恥ずかしい5月だ
▶ 最近は新玉ねぎが旬で、古い玉ねぎは自然とベランダの隅へ追いやられて転がるものだ。ベランダを片付けていると、古い玉ねぎから緑の芽が伸びているのを見つけた。玉ねぎは自らを溶かしながら次の命を押し上げていた。過去を自ら崩しながら未来を築くということ。誰にも知られずに、命はそうして静かに続いていく。
桜が散り、4月が引き際に立つと、僕らはいつもふと立ち止まる。この季節には去ったものたちがことさらに鮮明になる。あまりにも簡単に消えてしまった時間と、二度と戻らない名たち。去るべき者は去り、残された者たちの心は重い。残された者が感じる「束縛」は、去った人々に対する拭えない負い目だろう。
玉ねぎは自らの身を差し出して新しい命を押し上げる。では僕らは何を残しているのか。皮ばかり厚くして、差し出すべきものを持たずに生きてきたのではないかと自らを省みざるを得ない。消えゆくことで命を完成させる玉ねぎの前で、玉ねぎよりも劣る人間たちが権力を振るうこの5月、同じ地球の下で共に息をしているという事実が恥ずかしい。
/朴美山 詩人·文学博士