
1873年4月1日、ロシアのノヴゴロド県セミョノヴォで、セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)が生まれた。西洋音楽史上における最も偉大なピアニストかつ作曲家の一人であり、チャイコフスキーの伝統を受け継ぐロシア・ロマン主義の最後の砦と見なされている。
没落した貴族の家に生まれたラフマニノフは、サンクトペテルブルク音楽院とモスクワ音楽院で学んだ。圧倒的な技巧と大型の手を武器に、当時屈指のピアニストとして名を馳せた。
作曲家としての出発は平坦ではなかった。1897年に野心的に発表した交響曲第1番が酷評され、深刻な神経衰弱に陥って創作不能となった。催眠療法などで治療を受けた後、1901年にピアノ協奏曲第2番を発表して華麗に復活した。この作品は叙情的な旋律と壮麗な和声で聴衆を捉え、彼に国際的な名声をもたらした。
ラフマニノフの音楽は、ロシア特有の憂愁と広大な大地を想起させる豊かな響きが特徴だ。とりわけピアノ協奏曲第3番は極めて高度な難曲で、ピアニストにとって征服すべき巨大な山のような存在となっている。『パガニーニの主題による狂詩曲』や『ボカリゼ』といった作品はジャンルを超えてポピュラー文化にも深い影響を与えた。
1917年のロシア革命を受け、ラフマニノフはアメリカへ亡命した。亡命後も演奏活動は活発に続けたが、作曲活動は以前ほど旺盛ではなかった。生涯を通じて祖国ロシアへの郷愁を抱き、その想いは後期作品に色濃く投影されている。
1873年に始まった生涯は1943年、アメリカ・ビバリーヒルズで幕を閉じた。しかし彼が遺した甘美でありながら悲壮な旋律は、1世紀を経た今も人間の孤独と情熱を代弁する強力な言葉として残っている。巨大な手で紡がれた鍵盤上のドラマは、今なお世界中の聴衆の心を打つ。