ブリットポップ期を象徴する場面は数多い。オアシスとブラーのチャート争い、リアム・ギャラガーの暴言、ジャーヴィス・コッカーのねじれた冷笑、ブレット・アンダーソンの退廃的なポーズ。しかし、その時代を最も的確に描き出す光景は、意外にも遥かに静かな瞬間かもしれない。
1995年のある日、オアシスはウェールズのロックフィールド・スタジオで『(What's the Story) Morning Glory?』を制作していた。イギリス全土がオアシス熱に染まる直前で、ノエル・ギャラガーが世の中で最も傲慢な作曲家のように振る舞っていた時期だ。ノエルは口を開けば自分のバンドがビートルズ以降最高だと謳い、ライバルを嘲るのを楽しんでいた。路上の自信や労働者階級の若者の虚勢、「俺たちが世界を席巻する」という感覚を音楽へと最も完璧に翻訳した人物だった。だが、そんなノエルが一人だけ違う態度を示した相手がいる。ザ・ヴァーブのリーダー、リチャード・アシュクロフトだ。
当時、ノエルは完成したばかりの「Cast No Shadow」をアシュクロフトに聴かせた。曲は初めから彼を念頭に置いて書かれていた。後にノエルは彼を「世界の重荷をすべて背負ったように見えた」と振り返っている。ノエルが惹かれたのは単なる哀愁だけではない。そこには、同時代の誰にも真似できないアシュクロフト独自の作曲能力への深い尊敬があった。ノエルが鮮明で輝くメロディで時代の賛歌を書いたなら、アシュクロフトはサイケデリックな霧の中から魂の深淵を抉るような、奇妙で大きな旋律を生み出す才能に優れていた。自分をビートルズ以降最高だと信じて疑わなかったノエルが、アシュクロフトの別種の才にだけは早くから気づき、素直に敬服した。その証が『(What's the Story) Morning Glory?』のスリーブノートに刻まれた「the genius of Richard Ashcroft」という一言だ。自分のアルバムに他バンドのボーカルをこうして謳うことは前例がほとんどない。傲慢な作家が、自分の到達できない地点にいる別の天才へ捧げた、最も誠実で透き通った敬意だった。
「Cast No Shadow」というタイトルには、アシュクロフトがあまりに透明で、光がそのまま通り抜けるほど純粋な魂の持ち主であることが込められているように思える。曲を聴いたアシュクロフトは涙ぐみ、ノエルは「Hold yourself together!(しっかりしろ)」と声をかけた。感情が高ぶった相手に戸惑った人間が放った言葉だ。ブリットポップ時代の逸話の中でも、特に印象に残る場面である。その瞬間が単なる友情譚で終わらないのは、ブリットポップという時代の核心的矛盾を露わにするからだ。
当時のブリットポップは基本的に「クールさ」の文化だった。感情より態度が先行する時代で、誰もが機知を装い、感情はアイロニーの陰に隠した。傷は冗談で包み、真情はスタイルの内部に秘めた。ブラーは都市的な冷笑を洗練して消費し、パルプは自己の惨めささえユーモアに変換した。オアシスもまた、感情の奥底には虚勢と自信という鎧をまとっていた。だがアシュクロフトは違った。過度に感情的で、過度にロマンティックで、自らの悲劇に深く没入していた。ブリットポップが街の文化や日常を歌う一方で、アシュクロフトは存在そのものの虚無を一人で歌った。だからザ・ヴァーブの音楽は同じ時代にありながら、同時にその外側にある音楽でもあった。ノエルはそれを見抜いていた。
「Cast No Shadow」は単なる献辞ではない。虚勢に武装した者が、最も感情的な人間に捧げた告白だ。「He was a man with a lot of pride / He had a lot to say」という歌詞は、アシュクロフトを真正面から描く。「pride」は単なる自尊心を超え、折れない人間、自分の内なるものを妥協しない人間を指す。そしてその重さがあまりに大きく、自分自身を押し潰してしまう。ノエルはその重みまで歌詞に織り込んだ。
ザ・ヴァーブはブリットポップの枠にありながら、時代を超越する印象を与える。オアシスが時代のエネルギーそのものなら、ザ・ヴァーブは時代の影だった。オアシスの音楽が「皆で叫ぶ若さ」なら、ザ・ヴァーブは「一人残された夜明け」だ。初期のザ・ヴァーブは典型的なブリットポップではなく、むしろサイケデリックとシューゲイザーの流れを引いていた。ギターは霧のように広がり、音楽は現実感よりも浮遊感を生み出す。彼らの曲を聴くと、バンド音楽を聴くというより巨大な感情の状態を通り抜けるような感覚に襲われる。その帰結が1997年の『Urban Hymns』だった。
1997年は英国ポップの決定的転換点だった。ブリットポップの外向的エネルギーが消耗し始めたその時、レディオヘッドが『OK Computer』を発表した。街やパブを歌っていた音楽が、一人で裂け出た人間の不安と疎外をむき出しにしたアルバムだ。冷たく機械的な言葉で内面を極限まで押し込めたその衝撃は、ロック界全体を揺るがした。『Urban Hymns』はまさにその転換と重なる位置にあり、レディオヘッドが疎外を解剖したなら、アシュクロフトは同じ感覚を熱く感情的な言葉で受け止めた。片方が人間を冷たく解体するなら、もう片方は抱きしめながら崩れる。
振り返れば『Urban Hymns』はブリットポップ時代全体のエピローグだ。「Bitter Sweet Symphony」「The Drugs Don't Work」「Sonnet」「Lucky Man」といった曲が一枚に収まる。特に「Bitter Sweet Symphony」はロックを超えて大衆文化の象徴として残った。導入のストリングループが流れ出す瞬間、人々は自動的に90年代後半の空気を想起する。拡張し続ける都市、消費文化の陶酔、だがその中で次第に空虚になる人間たち。
「Cause it's a bittersweet symphony, that's life」──この一節が力を持つのはあまりに単純だからだ。人生は美しいが同時に耐えがたいほどに苦い。人は前へ進むが、結局は自分自身に辿り着けない。アシュクロフトはその説明しにくい時代感覚を、たった一行に封じ込めた。
何より重要なのは、この曲がブリットポップでありながらブリットポップらしく聞こえない点だ。当時の英国ロックは概して現実的だった。サッカー、パブ、労働者階級のアイデンティティ、街の文化。一方で「Bitter Sweet Symphony」は現実の上を漂う。ロンドンの中心を歩きながらも、同時に宇宙空間に一人取り残されたような孤独を感じさせる。だからこの曲は単なるヒットではなく、時代の頌歌となった。
「Bitter Sweet Symphony」にはブリットポップ史上もっとも痛ましい著作権紛争の逸話もある。ザ・ヴァーブはローリング・ストーンズの「The Last Time」オーケストラ版をサンプリングしたが、使用範囲を巡る法的対立が起きた。当時、ローリング・ストーンズ側の権利管理を担当していたアレン・クラインが勝訴し、アシュクロフトは曲の収益の大半を失った。作曲クレジットにはミック・ジャガーとキース・リチャーズの名まで記された。人生の苦さを歌った曲が、実際に創作者にとって最も苦い出来事をもたらしたのだ。アシュクロフトはのちにこの出来事を「史上最も売れたローリング・ストーンズの曲」と皮肉った。2019年にようやくローリング・ストーンズ側が権利を戻し、長い紛争に終止符が打たれた。
ミュージックビデオも同様に象徴的だ。アシュクロフトはロンドンの通りを真っ直ぐ歩く。人々と次々にぶつかるが決して避けない。通行人を肩で押しのけ、車とぶつかりそうなほどに進む。その姿を巡って英国の音楽ファンの間では「ロック史上最高の“肩ぶつけ”ミュージックビデオ」というジョークが流れた。この場面が演技に見えないのは、実際のアシュクロフトが世界とぶつかり続けながら前へ進む人物だったからだ。
彼はブリットポップ期における最も自己確信の強いフロントマンの一人だった。インタビューでは常に傲慢とも言える自信を示し、自分の音楽と存在を神話のように語った。その強烈な自己意識はバンド内部に絶え間ない緊張を生んだ。ザ・ヴァーブは全盛期でも常に解散寸前の空気をまとい、メンバー間の確執が何度も表面化した。ブリットポップが冷笑を消費する中で、彼だけが過度に真剣で、過度にロマンティックで、自らの悲劇に没入していた。
女性関係の話も有名だ。スピリチュアライザーズのリーダー、ジェイソン・ピアスにまつわる逸話は今なおブリットポップ期で最も悪名高い人間関係の一つとして語られている。アシュクロフトの現在の妻ケイト・ラドリーはかつてスピリチュアライザーズで活動し、当時はピアスの恋人だった。最終的にケイトはアシュクロフトと関係を持ち、この出来事はピアスに深い傷を残した。スピリチュアライザーズの名盤『Ladies and Gentlemen We Are Floating in Space』は多くがこの事件と結びつけて受け止められている。アルバムは愛の崩壊と自己破壊を徹底的に描いた作品だった。ピアスは崩れかけ、アシュクロフトは逆にブリットポップの頂点へと上り詰めていった。
歳月が過ぎても興味深い光景は残る。アシュクロフトは2021年に代表曲をアコースティックで再構築した『Acoustic Hymns Vol.1』を発表したが、そのアルバムカバーにラドリーが登場する。かつてピアスとアシュクロフトの間で語られた英インディーシーンの有名な恋物語の当事者が、数十年後にアシュクロフトの音楽を象徴するイメージとして再び現れたのだ。アシュクロフトの音楽には常に皮肉が付きまとう。ロマンと破壊、愛と喪失、救済と自己崩壊が同時に存在する。まさにそうした人間がソロで発表した最初のシングルが「A Song for the Lovers」だった。
2000年、ブリットポップは事実上終焉へ向かっていた。オアシスの時代的地位も揺らぎ始め、ブラーはまったく別の方向へと進んでいた。ザ・ヴァーブも『Urban Hymns』という過剰なまでに完成された作品を残した後、自らの重さに耐えきれず崩れていった。その廃墟の上でアシュクロフトはソロへ戻った。
曲は冒頭から力強く走り出す。ドラムは容赦なく前へ押し出し、ストリングは空の果てまで舞い上がる。初聴ではほとんど勝利の音楽のように感じられる。しかしアシュクロフトの声は、そのサウンドの中央で虚ろに浮遊する。
「I spend the night, yeah, looking for my insides in a hotel room(俺はホテルの部屋で一晩中、自分の中身を探している)」──冒頭の一節から既に何かが狂っている。愛の歌なのに語り手はすでに内面を失っている。誰かに向かって走っているが、同時に自分自身からどんどん遠ざかっている。この矛盾こそがアシュクロフトの音楽の核だ。
ザ・ヴァーブ時代から彼は常にそういう歌を作ってきた。「Bitter Sweet Symphony」が虚無を知りつつ歩き続ける者の歌なら、「A Song for the Lovers」はすべてが過ぎ去った後でも何かを愛そうとする者の歌だ。だからこの曲には独特の時代感覚が宿る。
2000年という時点は重要だ。かつて英国全体を揺るがした若さのエネルギーとロマンは急速に色褪せ、90年代特有の楽観も光を失いつつあった。そんな時期に登場した「A Song for the Lovers」は、祭りの後の風景を描く。みんなが去った舞台。夜明けまで鳴り続けた騒音が止まった街。だがある者はまだその場に残り、人生や愛を完全に放棄せずに再び立ち上がる。
アシュクロフトはその感情を最後まで冷笑で片づけなかった。多くの当時のロックがアイロニーと距離で感情を処理したなら、彼は自らの感情を真正面から押し出した。時に過剰で、時に痛々しいほど真剣だった。ノエルが早くから見抜いていたのは結局そこだ。虚勢と冷笑に満ちた時代のなかで、ただ一人過度に真剣だった人物。だからこそ彼の音楽は時代が終わった後も色あせない。
また、アームウォーマーのディテールのおかげで、まるでゲームの中のダークヒロインを思わせる印象を与え、ジゼルは時折壁に寄りかかりながらカメラを見つめたり、腕を上げて大胆な角度のシルエットを演出した。
このような破格なスタイリングはエスパ特有のガールクラッシュイメージを一層際立たせた。
一方、エスパは11月29日、香港・啓徳スタジアムで開催された『2025 MAMA AWARDS』チャプター2でベストコレオグラフィー、ベストダンスパフォーマンス女性グループ、ベストフィメールグループなど3冠に輝き、グローバルな舞台で存在感を再確認した。