冬が深まるころ、南へ向かう。娘が住むラオスへだ。厚手のコートを固く締め、仁川を離れて数時間飛ぶと、そこはまだ秋のぬくもりを残している。空港の扉を出た瞬間、季節だけでなく暮らしの速度そのものが変わったことを全身で感じる。人はしばしば所得と幸福を比例させて考えるが、ラオスに立てばその方程式がどれほど根拠の薄い幻想かすぐに分かる。
運転席に座るたびに、緊張の糸を緩めることができない。信号の最前列で止まっているだけで心がせわしなくなる。青が点くや否や発進しないと、後方からクラクションが降り注ぐ。4〜5秒のためらいすら許されない。見知らぬ道で方向が分からずやむを得ず割り込めば、クラクションに加え窓越しに飛んでくる視線や手振りまで受け止めねばならない。申し訳なさは反抗心へとすぐに変わり、道路は譲り合いのない戦場と化す。なぜ人はこれほど急ぐのか。目的地に数分早く着くことが、人生の余裕をそれほど奪うほど重要なのか。
ラオスの道路はまったく異なる光景を示す。首都ビエンチャンの通勤時間、孫を学校へ送るため市内を通ると交差点ごとにオートバイと自動車が入り混じる。その隙間を時間どおりに抜けられるかどうかは常に不安だ。信号は少なく、ほとんどがロータリーだ。短い隙間を見つければ素早く入り込むが、割り込みを理由にクラクションを鳴らしたり冷たい視線を投げたりすることはない。受け入れと譲り合いが日常になっている。速度を出せない道路環境ゆえ大きな事故も少なく、問題が起きても争いに発展しにくい。車やオートバイが少し凹んでも運転に支障がなければさっと流して「괜찮아(ボファンヤン)」と言って別れる。自動車が財産の象徴ではなく移動手段に過ぎないからこそ成り立つ景色かもしれない。逆走も多く秩序はゆるいが、全体の雰囲気は柔らかい。急がない心が道路にも浸透しているように見える。
ビエンチャンからバンビエン方面へ1時間ほど走ると、森の中にある美しいリゾート「ナム ピエン ヨラパ」に着いた。密林の間を渡る吊り橋と木陰のプール、そして私たち家族を半日案内してくれた若いスタッフがいた。彼の給料は私たちの通貨で約20万ウォン(約2万1200円)だと言った。家族を養うには心もとない額に見えたが、顔には不満の色はなく明るい笑顔が浮かんでいた。気の毒に思ってチップを渡すと、何度も頭を下げて感謝し、「大丈夫、今の生活が好きだ」と照れたように笑った。額の多寡より与えられた環境に満足する態度が生活に染み込んでいるように見えた。
ある韓国料理店での光景も印象的だった。客が少ないのにホールには従業員が五、六人もいる。店主はここでは人々が厨房よりホールの接客を好むと言った。給料は厨房の方が高いが、あえて大変で複雑な仕事を選ばないのだという。「これで十分だ」と今の立場に満足しているのだろう。金より自分の安楽を選ぶ心を、我々は「発展意欲の欠如」と呼ぶかもしれないが、別の見方をすれば生活の疲労度を自ら調整する知恵のようにも感じられた。
我々の社会はどうか。より高い年俸や良い条件を目指して絶えず動き続ける。終身雇用は消え、職業選択の基準は収入へと傾いている。大学入試でも所得の高い職が上位に置かれる。富の価値を否定するつもりはないが、激しい競争が人を疲弊させるのも事実だ。職場では競争が日常となり、就業時間が終わってもオフィスの明かりは簡単に消えない。稼いでも満たされない感覚が続き、空虚さを埋めるためさらに働く。職は夢というより生存戦略になっている。厳しさが蔓延しても抗えない我々は、そんな時ラオスで出会った若者たちの笑顔を思い出す。給料に執着せず平穏を保つ表情を見て、なぜ人はこれほど忙しく生きるのか自問する。彼らの顔を思い出すたびに、豊かさの尺度を見直さざるを得ない。
人生で最も悲しい瞬間は、家族や配偶者など身近な者がこの世を去る時ではないか。「犬糞畑に転がってもこの世は良い」という諺は、どれほど苦しく卑しい暮らしであっても、生きているこの世が死より優れているという意味だろう。そんな世を去る悲しみは測り知れない。特に配偶者を失うストレスは、離婚や服役よりもはるかに大きいと言われる。朝鮮時代には三年の喪に服す習慣があり、我々が子供の頃には喪服を着て弔問客が来れば涙なき曲で悲しみを表現した時代があった。
ラオスでは死を自然な現象として淡々と受け入れる。国民の大多数が仏教徒であり、輪廻を信じるため、死は古い肉体という衣を脱ぎ新しい生命へ移る輪廻の一過程と考える。過度に悲しみ号泣することは、去る者の魂を現世に留めると見なされ、次の生への旅を妨げると考えられている。彼らは涙の代わりに微笑みで「大丈夫、楽に行け」と背を撫でるようにして魂を見送る。葬儀で酒を飲み賑やかに祭のように過ごすこともあり、それは故人がより良い場所へ行くことを祝う意味合いもあるという。死は積んできた業に応じて決まる自然な結果だと信じられている。ラオスの人々にとって、人生と死は断絶する二つの世界ではなく、流れる川のごとく連続した一つの過程である。
ラオスの人々の姿を見ると、自分もそうありたいと思う。クラクションの代わりに待つことが、競争の代わりに受け入れが、執着の代わりに流すことが暮らしに染み込むようになりたい。もちろん経済的な不足が美徳であるとは言えない。しかし寛容で余裕ある生活を送るには、ある程度の不便を受け入れる覚悟が必要だろう。ラオスの温かな風から学んだのは、「大丈夫」と言ってくれる態度そのものだ。だから毎年冬が来ると、再びゆっくりした国を訪ねる。寒さを避け、会いたい顔に会うためでもあるが、本当はせわしない心を冷ますための旅でもある。
チョ・ナムデ作家ndcho55@naver.com
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